桐生八木節連絡協議会が結成される前は、上州保存会の新井一作氏が八木節チームに関わっていたようで、観光業を営みながら八木節チームの采配を振るっていたようです。
やがてチームのなかでも意見が出て、八木節連絡協議会の初代会長に、相生町で土建業を経営していた、野村政雄氏が昭和45年に就任しました。
発会当初は桐生市産業文化会館の大ホールで研修発表会を開催しており、各チームの出来栄えに点数を付けて、研修会の最後には成績を発表していました。そして、桐生市と姉妹都市への派遣には、研修会の成績上位のチームが派遣されていました。。桐生市産業文化会館解体の折は、桐生市青年の家の体育館で行ったこともあり、笠懸のパルで開催されたこともありました。
桐生まつりも初期は毎年8月の5,6,7日に開催されておりましたが、企業チームは景気が悪くなると企業チームのジャンボパレードに会社が休みにならず参加できなくなってしまい、パレードの参加チームが減りやむなく土日開催になってきました。景気の良い時期、企業は桐生祭りには休みになり、多くの企業がパレードに参加できたのでした。
桐生八木節連絡協議会の歩み